2005/2/4, 16:08 by Gen
22:53:05
いいかげんBlogを更新しなきゃと思いつつ、テスト中読書発熱により、言葉が出てこない。吸収中は生産できない、そんな人間なのです。もう少しお許しを。そのうちまた言語的下痢症状になるとは思うんだけれども。今日のなるほどフレーズ。
古典とは無限の叡智を収めた図書館であるよりもむしろ、さまざまな方向からやって来ては多様な方向へと流れていく、無数の議論の結節点ないし交差点のようなものである。それゆえに、議論の方向が異なれば同じ古典的理論家も相異なる相貌を呈することになる。
実在、および「○○とは何か」「○○を成立させている条件(原因)は何か」と問うことを徹底的に拒み続けたルーマンの思想。社会学だけではなく、法学/哲学をやる上でも絶対に読むべし。素晴らしい。

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2005/2/1, 16:10 by Gen
02:11:34
今日のひとこと。――「知るとは包み込むことである。その結果、より孤独になることである」。と思い浮かんだ。概念は多くのものを包含する。たとえば「存在」の一言で数知れぬ事象を捉えることができる。しかし、考える行為は、知る営みは、あるいは<知>は、孤独を必ず自分に突きつける。だからわたしは「知の共有」などというもっともらしい言葉を根源的なレベルでは全く信用しない。考える行為は、かならず他者から自分を切り離す。なにも血液型性格論で盛り上がってる飲みの場で物憂くなってしまうということだけではない。他者に接続され違和感なく収まる<知>は、ほとんどがイデオロギーであろう。もちろん「イデオロギー」という語には肯定的な意味も否定的な意味も含まれているのだが。

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2004/12/28, 16:10 by Gen
23:56:56
鶴見俊輔という思想家がいる。彼と上野千鶴子と小熊英二の対談『戦争が遺したもの』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508877/genweb-22/ref=nosim/を読む。いやー、鶴見さんってのは本当にすがすがしい人だ。彼は一つの「こう生きたい」というモデルみたいなものを与えてくれる。「戦時中は日本軍が一番の敵だった、でも日本人は嫌いじゃなかった」という話から始まり、朝鮮戦争、全共闘、べ平連の話へと続いてゆく。まわりのやつが何をしていたが、誰がどんなやつか、そして誰に仁義があるのか。それにしたがって身を振っていくいさぎの良さ。
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