いくつかの美しき断章
04:31:00
大好きな断章シリーズ第6弾。『バルト:テクストの快楽』より。




04:31:00
大好きな断章シリーズ第6弾。『バルト:テクストの快楽』より。
02:56:17
友人のパーソナル日記のコメント欄に書いたものを、せっかくだからコピペ。
17:41:53
若い頃は、落ち込んでいるとそれがずっと一生続くと思いがちだけど、気分は変わるし、自分を外側から見たら違うこともあって、そういう認識は大事な力になります。役に立たないと言われる文学もそういうものですね。人が文学をなぜ読むかと言えば、生きる力を身に付けている。文学的な知恵を身に付けていたらリストラされても死なないですよ。あらゆる知恵の中で一番身に付けにくいのは、何が起こるかわからない、自分の思い通りにならない人生の中で生き延びていく知恵。本当の知恵はいい文学作品として伝わるものだと思います。(茂木健一郎)
15:44:42
ジャン・ルノワールが1937年に撮った映画、『大いなる幻影』より(→)。ドイツ軍に捕虜として捕まったフランス軍将校二人が、ドイツからの脱走を企てスイスとの国境にさしかかった場面。雪の積もったアルプスの山並みをゆっくりとキャメラが捉え、そのまま二人へと落ちる。二人は会話する。
「向こうはたしかにスイスか?」
「そうとも」
「同じ景色だ」
「国境なんて人間の作ったものさ。自然は関係ない」
「何もかも終わるといい。エルザのところへ行く」
「愛してるか」
「そう思う」
「もし国へ帰れたら、君は飛行隊 俺は歩兵隊。また戦争だ」
「もう戦争はやめてほしいぜ。これを最後にな」
「君の幻影さ」
07:07:59
ねぼけまなこをこすると、そこは真っ白だった。東京今年雪見たのはじめてかも。昨晩の氷雨が薄雪に変わってた。ところで、「信じる」って行為はある意味傲慢さを含むってことに、気づいてない人が多すぎて辟易する。「信じる」ってことは、自分の責任を放棄して相手に丸投げするという意味が強い。いわば、自分が相手を監視する責任を放棄して相手に頼るわけだ。そのくせ、自分の求めていた結果が得られないと、「裏切られた」とかなんとかいって逆上しはじめるからタチが悪い。
21:47:32
うん。いい文章だと思う。「強い書き手、弱い書き手」。自分は完全に「強い書き手」型なので、しばしば(この文の筆者のいう)「弱い書き手」に嫉妬する。突き抜けた文章は、「弱い書き手」しか書けない。そんな痛みはずっと昔から抱えてる。吹っ切れる日がくるのだろうか。