思想よりも人物

2004/12/28, 16:10 by Gen

23:56:56
 鶴見俊輔という思想家がいる。彼と上野千鶴子と小熊英二の対談『戦争が遺したもの』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788508877/genweb-22/ref=nosim/を読む。いやー、鶴見さんってのは本当にすがすがしい人だ。彼は一つの「こう生きたい」というモデルみたいなものを与えてくれる。「戦時中は日本軍が一番の敵だった、でも日本人は嫌いじゃなかった」という話から始まり、朝鮮戦争、全共闘、べ平連の話へと続いてゆく。まわりのやつが何をしていたが、誰がどんなやつか、そして誰に仁義があるのか。それにしたがって身を振っていくいさぎの良さ。

 ある考えや思想や哲学に正しいものは無い。だからそれに従って生きると狂った結果になる。要は誰を信用するかで自分の行動が決まってくるし、それ以上の基準は無い。「オレはやくざの仁義みたいなものしか信じてないからね」。これはおそらく決定的に大切なこと。思想そのものなんてほとんど屑にすぎない。考えそのものなんて、基本的にはどうでもよい。誰が・どこで・何を言ったか、そしてその人に対して自分はどういう感覚を抱いているのか。これこそが自分の倫理基準に他ならない。

 最近つくづく思うのは、「語られた内容」よりも「誰が語ったのか・語った人はどういう人物か・どう語ったのか」の方が重要だということ。まず人ありき。だから自分は論理をそんなに信用していない。学問も信用していない。たとえばディベートで完敗したとしても、自分を打ちのめした相手に人間的な魅力が無ければ、それこそ笑っちゃうくらいどうでもいい話なわけで。悔しいという気すら起きない。コンスタティブ<パフォーマティブ。

 その意味でも、「普遍」を求めるなんて狂気の沙汰としか考えられない。だからといって相対主義なわけでもない。「○○主義」なんて根本的にはどうでも良い。自分が何に賭けるか。そしてその上でどう行動するか。あるのはそれだけだ。「論理なんてまったく人を動かしてないんだよ」

Tags 思想/哲学/言語(学) | | 3,552 Views | add to hatena hatena.comment 1 users add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://blog.genxx.com/wp-trackback.php?p=94
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