認知能力に遺伝が及ぼす影響は、歳を重ねるごとに大きくなる
Ricoh GX100 / Hatsudai / Tokyo.
あっちではなく、こっちを更新するのは本当に久々です。さて、復帰第1弾は遺伝の話です。巷では「遺伝か環境か」なんて不毛な二分論がいまだに囁かれていますが、そもそも、遺伝の影響が歳を重ねるごとに変化するケースが存在することは、あまり知られていません。遺伝の規定性は、時にダイナミックに変動する。「遺伝だから一生変わらないよな」という先入観は、放棄しましょう。「時間的遺伝子」が存在し、「環境が遺伝子に働きかける」側面があるのです。
常識的にいえば、生まれたばかりのときは環境の影響を受けていないので、遺伝的影響が最も大きく、成長すると共に環境の影響が大きくなっていくと思われがちです。ところが、認知能力に関しては、その正反対なのです。ネタ元は、安藤寿康さんの『心はどのように遺伝するか』。
■遺伝がある形質に与えている影響をどうやって調べるのか
そもそも、遺伝がある形質に与えている影響を、どうやって調べれば良いのか。人間行動遺伝学は、一卵性双生児の兄弟と、二卵性双生児の兄弟の、ある形質に対する類似性の差をを比較することによって、遺伝の規定性をはじき出している。一卵性双生児(遺伝子を100%共有)の兄弟の類似性と、二卵性双生児(遺伝子を50%共有)の兄弟の類似性を比較することによって、ある形質に遺伝が与える影響の度合いを測定することが可能なのだ。たとえば、ある形質についての、一卵性双生児の類似性と二卵性双生児の類似性(相関係数)の比が、その遺伝的類似度の比100%対50%に応じて2:1になれば、その形質の類似性にかかわる要因は、もっぱら(相加的)遺伝効果によると考えて良いことになる。
難しい話は端折るけれども、簡単に言えば、1. 同環境で育てられた一卵性双生児、2.異環境で育てられた一卵性双生児、3.同環境で育てられた二卵性双生児、4.異環境で育てられた二卵性双生児という、4つのサンプルを比較することによって、ある形質(たとえば体重)に遺伝や環境が及ぼしている効果を測定することができる。具体的には下記の4要素だけれども、詳細に興味がある方はググってください。
a.相加的遺伝効果(足し算的な遺伝効果)
b.非相加的遺伝効果(「優性の法則」のような、掛け算的な遺伝効果)
c.共有環境の効果
d.非共有環境の効果
■認知能力に遺伝が及ぼす影響は、歳を重ねるごとに大きくなる
たとえば、遺伝がIQに及ぼす影響は、時間とともに大きくなっていくといわれている。下図は、一卵性双生児と二卵性双生児のIQの類似性の発達的変化を示したものだ。生まれてすぐの時はどちらのタイプの双生児も類似性は同じように高いけれども、時間と共に、一卵性双生児の兄弟の類似性は上昇するのに対して、二卵性双生児の兄弟の類似性は下降傾向を辿り、その差はどんどん大きくなっていく。先述したように、一卵性双生児(遺伝子を100%共有)と二卵性双生児(遺伝子を50%共有)の類似性の差が遺伝の影響の度合いをあらわすから、この図は、発達が進むにつれてIQに及ぼす遺伝の影響が大きくなることを示しているのだ。
さらに、IQへの遺伝と環境の寄与率の発達的変化を細かく調べてみると、下図のようになるそうだ。壮年期まで遺伝の影響は上昇するが、他方、共有環境(双子が共有する環境;たとえば両親の教育)の影響は減少し、非共有環境(双子が共有しない環境:たとえば独自の友人関係)の影響は一貫して横ばいであることが読み取れる。つまり、歳を重ねるにつれて、家庭(両親の教育)や「育ち」がIQに与える影響は減少し、独自の人間関係がIQに与える影響は一定であり、遺伝がIQに与える影響が増えてくるということだ。
IQで測定される一般知能だけでなく、記憶力や推理能力など、下位の認知能力について調べた場合でも、遺伝的影響が発達と共に増大するというこの傾向は、さまざまな研究で繰り返し報告されており、人間行動遺伝学の標準的な知見となっている。もっとも、この傾向は、外向性や神経質さといったパーソナリティ特性では確認されておらず、認知能力に特殊な現象であるようだけれども。
IQの遺伝率が発達とともに増加する、つまり一卵性双生児はますます類似し、二卵性双生児はだんだん似なくなってくるという結果は、驚くべきものといえるのではないでしょうか。
■なぜそうなるの?
なぜこのようなことが起きるのか。第1に、ある年齢に達してはじめてスイッチオンとなったり、ある時間がたつと発達の速度を速め、ある時間がたつと速度を緩めるような、タイマー付きの時間的遺伝子が影響しているからだ。(タイムテーブルを持っている遺伝子が存在するため)
第2に、環境の変化にしたがって、これまで現れなかった遺伝的資質が新しく開花していく側面があるからだ。これは大変興味深い。環境が遺伝子に働きかけることがあるのだ。”人間は新しい環境に晒されることによって、新しいことを学び、新しい事態に対する態度を獲得する。これ自体は「環境から」作られた新しい変化であり、遺伝によるものではないかのように見える。ところが、新しい環境に適応するための変化の仕方に、遺伝要因が関わっているかもしれないのだ。(中略)それまで出会ったことの無かった経験が、その人の隠れた新しい遺伝の効果を引き起こし、遺伝的に等しい一卵性双生児はより類似し、二卵性双生児の類似性は減少する。”(p.144)
つまり、遺伝子型が異なると、環境の違いがそれぞれの遺伝子型にとって異なった意味を持つようになる、ということだ。たとえば、ある人が鬱病にかかる場合、遺伝子が原因だろうか?それとも会社でのストレス環境が原因だろうか?おそらく、両方が原因だし、どちらか一方が欠けたならば、鬱病は発症しない(鬱になりやすい遺伝子がなければストレス環境に対して平気だし、他方、鬱になりやすい遺伝子を持っていたとしてもストレス環境がなければ平気)。これがいわゆる、「遺伝子と環境の相互作用」と呼ばれるものだ。
安藤さんの本を離れてさらにいえば、「時間的遺伝子と環境の相互作用」も存在している。たとえば、幼少期のある時期にストレスを受ければ(時間的遺伝子のスイッチがオンになり)大人になってから鬱病を発症するが、別の年齢の時にストレスを受けても(時間的遺伝子のスイッチはオンにならず)鬱病を発症しない、といった具合に。手元に以前読んだ論文がないので、詳細を書けなくて申し訳ないけれども、遺伝子と環境の関係は本当に複雑なのだ。
環境の変化がある人間のある行動を変化させたように見えたとしても、その背景には遺伝子が関わっているかもしれない。下図は自分が作成したものだが、この可能性に注意を払う必要があるのだろう。
遺伝は時にダイナミックな存在だ。<わたし>は遺伝子に制約されているが、他方、<わたし>の行動によって遺伝的な可能性を開拓することもできる。溜息を零しながら見つめている畑は、まだ耕し終えていないだけなのかもしれない。遺伝と聞けば決定論を連想しすぐに嫌悪に陥る人や、遺伝と環境を二分法的に捉えている人は、ぜひともこの本を読んで欲しいと思います。



