心と意識のまとめ

2007/7/4, 18:59 by Gen

 「心とは」というエントリ、そして「意識とは」というエントリでは、『心と認知の情報学』から、わたしが重要だと感じた点を抜き書きしました。背景知識の無い方にはかなり読みづらかったと思います。そこで、今回の記事では、わたしの言葉によって、両エントリの内容を再構成してみます。この再構成は、社会学的な考察を加える(物語論を考える)ための準備段階です。前回、前々回の記事をスッキリと読まれた方が、今回のエントリを読む必要はないでしょう。次回以降に、『自己への物語論的接近』という社会学の書籍を参考にしながら、「わたしにとっての物語とはなにか」「わたしとはなにか」を、(認知科学と社会学を接続する形で)考えてみたいと思います。

 一般的にわたしたちが「心」という言葉を用いるとき、そこにはさまざまな働き(機能)が暗黙裏に想定されている。ダニエル・デネットの図式にしたがって整理すれば、「心」には4つの機能水準が存在する。1.生命を維持するという水準。2.遺伝的(生得的)に可能な表現型のレパートリーに制約されながらも、手当たり次第の試行錯誤と環境による強化を通じて、刺激と反応の関係(行動)をスキナー的に学習する水準。3.個体内部に環境のモデルを持ち、どんな行動が環境に適応的かを評価して、最初から偶然以上に見込みのある行動を取る(計画や推測を基に環境の変化に対応する戦略をとる)水準。4.社会的集団で生活する個体が、他の集団・個体が持つ概念を、人工物や言葉を通して知り、内的な環境モデルと行動の生成・評価をともに精緻化する(集団を形成してコミュニケーションをとる)水準。

 無意識で処理できる情報量は膨大(一秒当たり数兆ビット)であるのに対して、意識で処理できる情報量は極めて少なく(一秒あたり十数ビット)、人間の「心」はまず何よりも無意識的・自動的なプロセスに支えられて認知・行動しているといえる。信念・価値観・記憶を含め、わたしの「心」はまず何よりも無意識的な処理によって支えられている。

 無意識的な処理によって支えられているわたしの「心」を、意識によって反省的に捉えることができる。しかし、意識はスポットライトのようなものであり、わたしの「心」を部分的にしか捉えることができない。自分のもやもやとした(無意識的な)感じを、言葉で十全に表現できないもどかしさの根源はここにある。また、言葉によるコミュニケーションは不十分な理由がここにある(身振り・仕草・表情などを介した無意識的なコミュニケーションの情報量は圧倒的であって、たとえばメールのような、言葉のみによるコミュニケーションはもどかしい)。

 にもかかわらず、意識はなぜ必要なのか。意識の役割は、調整役(政治家)である。まず、自分の中で、無意識的に進行する「心」のさまざまな機能プロセス(各モジュール)を調整する必要がある。(「心の社会」における政治家となる必要がある)。わたしの無意識的な「心」は比較的バラバラなのであって、そのバラバラな各モジュールを、ひとつの物語を生成することによって束ねて、統一性を持たせる必要がある。

 ではなぜ、意識は物語によって「心」を統一的に束ね、自分は一貫性を持った存在だと演出する必要があるのか。それは、人間が、(ドーキンス的な意味で)異なる遺伝的利害関心を持つ他者と、コミュニケーションしながら生きる必要性が生じたからだ。人間が最適な生存戦略を実現するためには、「他者と協力する」と同時に、「自分の利益を確保する」必要がある。このように、「自己の利益」と「社会の利益」というジレンマのバランスを取る際に、意識は大きな役割を果たす。つまり、意識は、自己と他者の調整役でもある(自己と他者の結節点(ノード)において、インターフェースをとる役割をする)。

 一貫した特性が失われた個体(ex.統合失調症)であると、集団内で役割を与えるのも難しいし、安心した協力相手ともなりえない。したがって、わたしの「心」は、他者にとって一貫性を持った存在だと認知される必要がある。だから意識は、(無意識から拾い上げることができる)部分的な情報から、むりやり一貫性を持った物語を生成し、わたし内部の「心の社会」(各モジュールの争い)を統一的に調整する。

 また、意識によってなされる行動は、一人称的に、「わたしの」ものとして自覚される。意識は、あたかも「わたし」が主人公となっている仮想の物語を作り出すかのようだ。この意識による一人称的な自己知覚は、協力による利益(「社会の利益」)の中にみずからの貢献を埋没させずに、自己利益を求める競争を呼び起こす効果がある。

 つまり、意識は、内的世界と外的世界を媒介し、外的世界に対しては調和的な自己像を演出してコミュニティを形成する一方、内的世界に対しては認知モジュール群を調整する物語を生成して安心(統一性;安定性;落ち着き)を形成している。

 すべてをまとめて考えるとこういうことになる。人間の知覚・認知・思考・行動は、まず何よりも無意識的に行われている。社会学者ブルデューが用いた「ハビトゥス」という概念、あるいはM=ウェーバーが(言語的・意識的・明示的な)「倫理」と区別して用いた「エートス」という概念も、この慣習的・暗黙知的なプロセスと関連を持っている。

 しかし、人間は、他者の存在を考慮に入れた上で、「自分の利益」と「他者の利益」のバランスを取りながら行動する必要がある。その際に、自分の行動を反省的に捉える「意識」が大きな役割を持つ。意識は自分の内的世界を(スポットライトのように)部分的に捉えることしかできない。意識にとっては自分すらひとつの「他者」である(自分のことはよくわからない)。にもかかわらず、意識は、物語を生成することによって、統一的に自己の内的世界を調整し、他者にとって一貫性を持った存在として自己を演出する。その物語はまた無意識に引き継がれ、意識しなくとも、自分の信念に沿った形で記憶が調整されていく。つまり、物語は、意識と無意識を循環し、統一的な自己像を調整していくのだ。

Tags 社会(学), 科学/認知/進化/環境/身体 | | 6,787 Views | add to hatena hatena.comment 6 users add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 4 users |  http://blog.genxx.com/wp-trackback.php?p=208
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