『カードの並べ方が人生だ。』
『カードの切り方が人生だ。』というLIFEカードのCMをパロったはてなダイアリーのエントリーを読んだことがあるだろうか。たしかにカードの切り方は人生だ。ホントそうだよ。でもね、あえてこう言いたい。『カードの並べ方が人生だ。』――というわけで、今日はまたしても恋愛論。というか、酔ってるから書けるただの恥ずかしい泥酔ポエムw
チャラいギャル男が得意げにこう語っているのを聞いたことがある。「昔付き合った人に対する態度で男女差ってやっぱあるよね~。女はカード(新しい男)をどんどん上に積んでいくんだよ。でも男はねぇ、昔の女を忘れらんないよね。男はカードを横にどんどん並べていくんだよ」
男女で差があるかと言えば、あるかもしれないし、ないかもしれない。確定的なデータはないだろう。でも少なくともこれは言える。自分は完全にカードを横に並べていくタイプだし、自分のまわりの男を見ていても、そういうタイプは多い。まぁ、「男」について一般論で語るのは気が引けるから、ここからの主語は「自分」にしよう。
忘れられない誰かがいる。特に、あの子かな、やっぱ。それはつねに生々しい疼きであり続けている。その疼きは、自分を妄想の世界へと連れて行く。二人でシェアした時間の想い出が、記憶をかたちづくる。その記憶を担保に、妄想のバブルは膨らみ続ける。今度は逆に、膨らんだ妄想のバブルが、記憶それ自体を書き換えてゆく。レバレッジ(妄想の程度)が大きければ大きいほど、記憶自体が大きく姿を変えていく。
その時、彼はユートピアを建設したのだ。あの人との記憶を担保に創られたユートピアを。それは、妄想であるから、誰からも邪魔されない世界だ。今現在、彼が現実で直面している恋愛への不満(物足りなさ)をエサとして、怪物のように成長してしまう、やっかいな世界が誕生したのだ。
彼は事あるたびにそのユートピアへ逃げ込むだろう。だって、自分の妄想の中でふくらみ続けるユートピアは、絶対に彼を裏切らないから。それは2次元の美少女マンガのような世界で、妄想がさらなる妄想を呼び、インフレを引き起こしていく。彼は、その世界が3次元ではない――生身の彼女はもうそこには居ない――苦しさを絶対的に抱えながら、しかし同時に、甘美な悦びに浸ってもいるのだ。現実に触れられない苦しさが、ユートピアの美しさをますます濃縮していく。痛みと切なさとノスタルジーが卑怯な口づけをし、ユートピアは「絶対領域」へと変化していくだろう。
もちろん、ある日、彼は、その思い焦がれた――一番好きだった――彼女と現実に飲み交わすこともあるだろう。「久々に飲もうよ。笑」なんて恥ずかしいメールを送りながら。だが、彼は、もはや彼女と「自然に」向き合えなくなっていることに気づくのだ。あまりに妄想のユートピアが膨らみすぎたのだ。彼女と改めてしゃべるとき、彼は、一挙手一投足ぎこちないのだ。彼の自意識がつくりあげた人工的な「さりげなさ」が、彼を絶望的な気持ちにさせるのだ。
その絶望は、彼をまた優しくユートピアへと誘うことだろう。ますます辛く、そしてますます甘美なユートピアへと。彼がかつて紡いだ彼女との想い出は、もはや彼女ですらコントロールできないのだ。その記憶は、彼自身の一部と化してしまったのだ。
—
疼きの数だけ青春は存在する。青春は、かつて若かりし頃、そこに実在したのではない。青春とは、年を経た彼がつくりあげた、心の中のユートピアの別称なのだ。そしてそのユートピアが、今を生きる彼を、甘く苦しく、支えているのだ。
――『カードの並べ方が人生だ。』
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