年下の女の子が好き、という男――「ピュア」論

2007/3/7, 14:15 by Gen

 都市論の続きについては、関連するネットワーク論の英語文献を読み始めたら意外と時間を食っているので、いましばらくお待ち下さい。今日はひさびさの恋愛論です。そう遠くはない以前に18歳の女の子と付き合っていたことがあった。「18歳」と聞くだけで「ええなぁ~俺にも紹介しろや~」とおバカなリアクションを返してくる男はたくさんいたものだが、そもそも、なぜ一般的に(平均すると)男は年下の女性を好みがちなのだろうか。また、年上の男と付き合っている女性が、「わたし、あの人に比べたら人間的な深さも経験もないし、私みたいなのと喋っていて楽しいんだろうかと不安になる」と発言するのを聞くこともよくあるのだが、これをどのように考えたらよいだろうか。(このBlogを読んでくれているであろう数人には既に飲み屋で喋ったネタですが、お許しをば)


 「水を弾く」ぴちぴちの肌、汚れを知らない(ry――まぁ、たしかに身体(カラダ)という要素は疑いなく大きいのだろう。男は女性の若いカラダが大好きだ。進化論的にいえば、得てして、女性の大きな「売り」は(出産可能性という生殖と結びついた)身体の鮮度であり、男性の大きな「売り」は女性の生活を金銭的にも内面的にもいかに援助できるかという金銭的・言語的・肉体的能力だ、ということになる。他方、「男は年下の女性が好き」という価値観は進化的なものではなく実は社会的に構築されたものだというジェンダー論的にいえば、歴史的な社会構造、歴史的な社会規範、メディアに流通する言説、「女子高生」や「妹(お兄ちゃん!)」の記号化など、「肉と性の交換」という仁義なきルールが社会的にまかり通ることを可能にしている(変革可能な)諸条件を問うべきだ、ということになる。

 だが、ここでは上記の<進化vs社会的構築>問題に立ち入らない。事実(facts)についての探求は科学的論争を通じて明らかにすべきだし、どちらか一方が正しいのではなく両者が入り組んでいるのが実情だろうなぁ、と思うからだ。

 今回は「ピュア」の問題について考えてみたい。男は若い女の子が好きだ――なぜなら彼女は「ピュア」だから。「純情」「恥じらい」…一般的に年下の女の子を好む場合、男が求めるのは彼女の「ピュア」性だ。では、「ピュア」や「純情」とは、いったい何だろうか。

 「ピュア」であるとは、純情=ウブ=何でも男の思い通りになる=言いなりになる=俺様がコントロール可能=従うべき存在としての女性、ということだろうか。それは違うと思う。男が、少なくとも自分が、女性の「ピュア」さに胸を打たれるとき、彼女はコントロールできない、自分の予想外の存在なのだ。

 「ピュア」とは「ものごとに感動できること」だ、と思う。凝り固まった価値観や固定観念に縛られてシニカルに笑うのではなく、ある対象を驚きの目をもって見つめることができる、そしてある対象にエネルギーをもって接することができる、それが「ピュア」なのだ。概して、歳を取るにつれ人間の価値観は凝り固まり、認知構造は省エネとなり、ある対象に出会ったときに、「ああそれね」といった態度を取るようになる。くだらない例だが、たとえば、牛角に焼き肉を食べに行ったとき。29歳の女性はこう言うだろう。「何こんなとこに連れてきて。不味くてオージービーフなんて食えたもんじゃないわよ。狂牛病もまだ怖いよね。この前出張行ったときに食べた神戸牛は美味しかったなぁ。ま、牛角はこの程度かな」。他方、18歳の女性はこう言うだろう。「何コレ!超おいしい~これも食べたい、あれも食べたい。このメニュー見て!凄くない?マジで幸せなんだけど~」

 あまりにくだらない例で唖然としないでほしいw でも、要はそういうことだと思うのだ。年下の女性は、過去の経験や築き上げられた価値観が少ないので、ある対象を驚きの目でもって見つめることができる。年上の男にとって、彼女のその驚きのエネルギーは予想外・コントロール外であり、そのエネルギーを取り込んで、彼自身もまたある対象に新鮮なまなざしで接することができるようになる。自分の過去の経験から一旦離れて、牛角の焼き肉に出会うことができるようになる。事物・出来事の1回きりの固有性をしっかりと見つめることができるようになる。つまり、構造化された自分の価値観を再編成する契機を年下の女性は与えてくれるのだ。

 人間は成長するにつれ価値観を固めてゆく。もちろん、これはとても素晴らしいことだ。積み木のように知恵を蓄え、より深い世界の認識に到達し、より厚みのある社会を築いていくことができるからだ。しかし、価値観が固まるにつれ、必ずなにものかが排除されてしまう。そして一旦排除してしまったものに対しては、もはや驚きの目を持って向き合うことはない。知識と経験を蓄えるにつれ、自分の世界は広がるが、しかし同時に狭くなるのだ。

 だから、「わたし、あの人に比べたら人間的な深さも経験もないし、私みたいなのと喋っていて楽しいんだろうかと不安になる」必要はない。あなたがまだそれほど知識も経験も蓄えていない、というただそれだけのことで、あなたは年上の大好きな彼に何かを与えているのだ。そのことは誇りに思っていい。

 また、これは何も男と女に限った話じゃない。「俺みたいな知識も経験が無いヤツが役立つのだろうか…」と男の先輩を前にして不安になる必要もない。古代ギリシアの時代、老年の哲学者はよく「まだ何も知らない」青年とプラトニックな関係を築いたものだ。年下はかならず何かを年上に与えている。そこにはフェアなトレードが成立しているのだ。気後れする必要はまったくない。

 もちろん、「新しい考えに出会うにつれて自分の価値観がより柔軟になる」という側面を忘れてはいけない。また、実は、「年上か年下か」というのはそれほど重要じゃない。ある対象に、驚きのまなざしをもって向き合うことができるか、そしてそこから最良のものを引き出そうとするエネルギーを持っているかどうかこそがポイントなのだ。年下の方がそのエネルギーを失っていない確率が高い、というだけの話だ。「好きな女性のタイプは?」と聞かれれば、最近は「好奇心の衝動とエネルギーを失っていない人」と答えている。「ピュア」とはそういうものだ、いやそういうものであって欲しい、と自分は考えている。

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4 Responses

  1. がんちゃん Says:

    どうもです。
    今回の日記のネタ、確かにこの前しゃべりましたね。なつかしいなw

    >年下の女性は、過去の経験や築き上げられた価値観が>少ないので、ある対象を驚きの目でもって見つめるこ>とができる。年上の男にとって、彼女のその驚きのエ>ネルギーは予想外・コントロール外であり、そのエネ>ルギーを取り込んで、彼自身もまたある対象に新鮮な>まなざしで接することができるようになる。

    激しく同意です。これがあるからこそ、タメ/年上との恋愛よりも日常生活のさりげない楽しさが増すんでしょうね。

  2. 流れ人 Says:

    お久しぶりです。概ね激しく同意しながら読んでました。

    >概して、歳を取るにつれ人間の価値観は凝り固まり、認知構造は省エネとなり、ある対象に出会ったときに、「ああそれね」といった態度を取るようになる。
    →社会科学を考える上で認知構造/処理能力ってかなり重要な概念ですよね。物的資源=金銭に対抗する人的資源=処理能力、として。このエントリーは人文科学に近いから、人の差異の考慮は当然の引き込みなのかもしれませんが。

    >彼自身もまたある対象に新鮮なまなざしで接することができるようになる
    >構造化された自分の価値観を再編成する契機
    →裏返すと、何かを「新鮮」に受けとめ「再編成」するエネルギーがいりますよね。ここを「確認」として受け入れるようでは、もはやその相手と恋愛しているとは言えないのかも。

    激しく誤読してそうで申し訳ないですが一つ。ピュアを求める契機が「社会的構築」なり「進化論」では、とも思うんですがどうでしょう。
    というのは、価値観の「再構築」の前提たる「構築」がなされていない状況では、相手がピュアである必然性がないわけで、やはり「男は価値観を構築する」ことが前提になっていると思うわけです。哲人と青年にしても男ですし。なら、なぜ構築するのかを考慮する必要はあるのでは、と。
    とすると男女比較も含め論が飛ぶか。このあたりが「あえて立ち入らなかった」所以かな、とも思ったりします。

    長々とすいません。

  3. Gen Says:

    >がんちゃん

    日常生活のさりげない楽しさが増すんでしょうね。

    さりげないもの・さりげない出来事を輝かせることこそが恋愛のトリックというか本質だから、このコメントは刺さるなぁ。なんかムカついてきたw

  4. Gen Says:

    >流れ人さん コメントどうもありがとうございます。

    →社会科学を考える上で認知構造/処理能力ってかなり重要な概念ですよね。物的資源=金銭に対抗する人的資源=処理能力、として。このエントリーは人文科学に近いから、人の差異の考慮は当然の引き込みなのかもしれませんが。

    認知構造を社会科学的な学術用語で捉えると、「信念」とか「ハビトゥス」ってことになるのでしょうね。ただの紙切れである金銭が力を持っているのだって、わたしたちのハビトゥスが貨幣に信認を行っているからですしね。物的資源のパワーは、認知構造がそれにどれほど重要性を認めるかによって変わってくる、すなわち両者は相互作用している。(「ハビトゥスは構造化されると同時に構造化する心的構造である」(c)ブルデュー)

    ピュアを求める契機が「社会的構築」なり「進化論」では、とも思うんですがどうでしょう。
    というのは、価値観の「再構築」の前提たる「構築」がなされていない状況では、相手がピュアである必然性がないわけで、やはり「男は価値観を構築する」ことが前提になっていると思うわけです。哲人と青年にしても男ですし。なら、なぜ構築するのかを考慮する必要はあるのでは、と。
    とすると男女比較も含め論が飛ぶか。このあたりが「あえて立ち入らなかった」所以かな、とも思ったりします。

    もちろん、ピュアを求めてしまう人間のハビトゥスみたいなものは、一定の進化的基盤を持ち、また同時に社会的に構築されたものであると思います。進化+社会的構築によって、1.女性の若いカラダへの欲望、2.女性のピュア性への羨望が育まれているのだと。

    流れ人さんのコメントの趣旨を「ピュアに触れることが価値観の再構築の契機であり、男性がピュアを求めるならば、男性は(その前に)確たる価値観を構築しているということになる。それはなぜか。なぜ男性はそれほどまでに価値観を構築してしまうのか」という風に受け取りリプライします。

    何もそれは男性に限った話ではない、と考えます。年上の女性は色々いい店に行き美味しいモノを食べた経験と価値観を構築しているから、牛角の焼き肉に感動できない。つまり女性だって価値観は構築しているわけです。年下の男の子の「無邪気な」笑顔にぐっとくる女性だって多いはず。趣旨がズレていたらもう一度リプライ下さい。

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