商業主義でも作家主義でもない「エンターテイメント主義」
ハリウッド映画のおなじみの物語筋には辟易するが‥でもあまり難しい映画も好きじゃない。。って人がかなり多いんじゃないだろうか。難解な映画は「作家主義」と呼ばれることが多く、まぁ個人的には嫌いじゃないのだが、映画の「素人さん」(「大衆たち」)をつねに煙に巻く。もちろん作家主義的な難解な映画を好む「インテリ」たちだって似たようなものなのだが(インテリとはようするに自分を「大衆」として意識してしまった大衆のことだ(c)仲俣さん)。
で、誰だったか忘れたが、とある映画監督の方が「俺の目指す映画は作家主義でも商業主義でもなくエンターテイメント主義だ」って宣っていて、まぁ、それは一つの方向性としてアリだなぁと思ったわけですよ。作家主義からは「過去の手法の繰り返しではなく新たな表現技法の創造」「何としても伝えたい強いメッセージ性」という利点を引き継ぎ、他方、商業主義からは「なるべく多くの人に届くよう可能な限り咀嚼する」というメリットを引き継ぐ。斬新なもの、身を切るような切実なメッセージ、を可能な限りかみ砕いて多くの人に届けようとするエンターテイメント主義。
エンターテイメント主義では作家(監督)のプライドが邪魔をしない。表現したい確たる内容があれば、それを可能な限り(自分が土下座してでも)わかりやすく伝えようとする。何度も試写会に出かけていって、スクリーンの裏からじっと観客の表情を観察する。暗闇のシーンで子供が寝そうになっていれば、その暗闇のシーンの長さを可能な限り切り詰めようとする。他方、作家主義の監督は、まぁぶっちゃけていえば、気取るわけですな。もちろん、気取り方そのものが文化だ、ってのはたとえばフランスを見ればその通りなのだけれども。
端的にいえば、わかりやすくてなおかつ深い映画ってすげーよな、ってことです、はい。『Hedwig and angry inch』とか『ひまわり』とか。ヒッチコック的なものとか。もちろん『ナイロビの蜂』もその系統。




8月 10th, 2007 at 8:28 pm
ログの中に「素人」さんとあるが書いている人はどれぐらい玄人なんだろうか。
8月 10th, 2007 at 9:47 pm
書き手です。
カギカッコ付きの「素人」なんですが。