「技術」を通して「自然」とあらたな関係を切り結ぶ、のか?

2006/1/8, 14:33 by Gen

 顔面青ざめてますが10分だけ与太話という息抜きをお許しください、神様。寓話ですよ。北海道のある町では、川がよく氾濫する。古くは江戸時代から、石を積み上げて堤防を築いてきた。石を積み上げた堤防は、維持するのが大変だ。重い石をわざわざ毎回積み上げるのだから、重労働だし、しばしば事故が起こって、何人もの住民が命を落としたり大けがをしてきた。もちろん、石でこしらえた堤防にはメリットがある。住民と川との交流や触れあいを阻害しないからだ。コンクリートで固めてしまっては、住民と川が訣別してしまう。さてどうしたものか。コンクリートという新たな・安全な「技術」を取るか、石の堤防という「自然」との触れあいを取るか。こまったこまった。

 長老はこう漏らした。なぁに問題はないさ。なにも石の堤防をコンクリートで固める必要はない。「ブルドーザーで石を積み上げれば良いのさ」。――そう、一見「技術」と「自然」の二択に見える場面も、実は、かならずしも二択じゃない。「技術」を通して、これまでの「自然」との関係を、よりいっそう強化することだって可能だ。もし国が作った「河川の氾濫に対処するマニュアル」みたいなものがあるとしたら、「コンクリートで埋め立てろ」と指示するだろう。なぜなら、普遍的には、それが一番ローコスト・ハイリターンだから。中央集権的に対策マニュアルを作るとしたら、それしかあり得ない。対照的に、「ブルドーザーで住民の重労働を肩代わりする」技術は、個別性や具体性を志向している。科学技術は普遍性や抽象性を志向する。だから力強い。でも科学技術の普遍性をローカルな具体性に落とす作業は、これまで、比較的ないがしろにされてきた。

 日常的な生活世界での「技」や「コツ」や「ルーティーン」みたいなものを、科学技術で補助してやる。その際に、昨今流行りの「現場知(ローカルノレッジ)」みたいなもんが問われてくる。たとえばマタギの伝統が廃れそうで伝承が危ういならば、GPSを活用する道がある。霞ヶ関のテーブルだけじゃなく、現場のほったて小屋がいつまでも必要なのは、端的にこういう状況があるからなのだ、きっと。あくまで、与太話。

Tags 科学/認知/進化/環境/身体 | | 2,413 Views | add to hatena hatena.comment 0 user add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://blog.genxx.com/wp-trackback.php?p=145
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