戦争と責任

2005/8/6, 14:48 by Gen

05:08:25
  「戦争経験者が真実を語る」という朝まで生テレビを観ていて思ったのが、「責任」という言葉の難しさだ。「何万人もの人が死んだ、そんな戦争をはじめた、その責任は誰にあると思いますか」と彼らに問い始めたとたん、言葉は白々しくなる。戦争はシステム的にスタートし作動するので、誰か特定の個人が責任を負っていると、厳密に決定することはできない。特定の個人の責任を問うてみても、すぐに集団力学の問題(「同意せざるを得ない状況だった」)に行き当たる。あるいは、「情報がとにかく少なかったから(正確な予測を建てることができずに)無謀な戦争を始めた」「欧米のプレッシャーが戦争に向かわせた」という意見が出てくると、戦争「責任」はどこまでも遡及できるし、曖昧になる(もっとも、欧米諸国による植民地化を逃れたアジアの国は日本とタイだけだったのだから、太平洋戦争までのいきさつは、ある意味「大成功」だったともいえるだろう)。

 「責任」という言葉に対して、自分は、通常の意味と少し異なった見方を持っている。絶対的な「責任」があるわけではないし、あたかも歴史的事実を発掘するかのように、「責任」の正確な所在を「見つける」ことなどできない。過去の「責任」を永遠不変の真実として確定することなどできない。「<本当は>彼に責任があった」などという言い方はできない。

 ある事故なり悲劇が生じたとしよう。多くの場合、基本的には「システム(構造)と呼ぶしかないようなもの」が、悲劇の原因となっている(官僚制であれ何であれ)。だが、システムは「責任」を引き受けることができない。法的には企業法人や国が責任を引き受けることができても、人びとの心情としては納得がいかない。『「誰の」責任なんだ』という話になってくる。そこで、人間=特定の個人が「責任」を負うことになる。本来システムに帰すべき「責任」を、具体的な人称に割り振ることになる。

 「責任」は過去の真実を明らかにするための概念ではない。おそらく、「責任」は未来に対する言葉だ。未来、たとえば「似たような状況をふたたび起こしたくない」という目的に向けて、過去をいかに解釈すれば一番有効であるのかに基づき、「責任」が配分される。過去の悲劇の「責任」は、調査の結果「明らかにされる」のではなく、未来をデザインするために「つくられる」。具体的な事例を用いてこのことを論証する余裕はないが、「責任」概念は、こう捉えるしかないと感じている。

Tags 歴史/宗教 | | 2,469 Views | add to hatena hatena.comment 0 user add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://blog.genxx.com/wp-trackback.php?p=137
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