社会主義はなぜ無効になったか
08:55:33
とても明快でスカッとする文章だ。→資本主義はなぜ強靱であったか。社会主義はなぜ無効になったか。 3点抜き出しメモ。
言論の自由というものは,そのような権力の分散の中で隙間を縫うようにしてはじめて現実的に存在することができるようになったものである。そして,自由な言論は,たしかにそれまで狭隘なところに押し込められてきた人類の知的発展を著しく解き放ちはじめた。その結果,言論の自由はあたかも普遍的な原則と考えられるようになってきたのである。しかし,依然として大小の政治権力者とその追従者の間だけで自由が可能なのにすぎないし,普遍的な原則と考えられても現実的な権力に支えられなければたちまちにして空文化してしまうものである。
独裁的権力者というものは絶対に無謬でなければならない。なぜなら,もし誤謬を犯してもそれを批判したり是正させる権力をもつものが存在しないからである。では,人間は無謬な存在でありうるか。否であろう。それでは,独裁者の無謬性を絶対条件とする政治制度は人間にとって可能なものであるか。答えはいうまでもなく否である。したがって,当然のように独裁制,民主集中制の社会,組織においては,誤謬を無謬といいくるめることが必然的なこととなるのである。そして,独裁的権力者の支配が誤謬を是正されることなく累積していって最後には,それを是正するのは独裁者の暗殺,謀殺,軍事クーデター,あるいは暴力革命いがいにはなくなるわけである。
マルクス,エンゲルスほどの思想家がなぜこのような盲点をもっていたのであろうか?それは,彼らが人間の可謬性ということについては,まともに考えたことがなかったということを意味している。また,複数の人間の間のコミュニケーションが透明で瞬時に誤解なく理解し合えるものだと考えていたことを意味している。人間の有限性,愚かさ,弱さ,謬りやすさ,他人のいっていることのわからなさ,といったことが常に念頭にあれば,権力分立の問題は視野に入ってこざるをえなかったはずなのである。