問いと答えの連鎖の歴史、に終わりはない

2005/5/27, 15:37 by Gen

00:19:16
 昨日の問題意識を再構成しておく。以前引用した文章だが、

 われわれは、思想というものはある特定の問題に対する一つの解答であることを、ともすれば忘れがちである。解答命題のみを思想とみて、その命題を生み出したところの問いを不問に付す。あるいは問いを問題にする場合でも、その問いを特定の問題状況における特定の問いとしてよりは、一般的・普遍的な問いとして捉え、この一般的・普遍的な問いにうまく答えたか否かによって、思想の優劣を判定しがちである。

 最先端の思想は過去の思想に優ると考え、最先端の思想をもって過去の思想の不備をあげつらう、いわゆる現在中心主義の歴史観は、問いについてのこのような見方に起因するといってもいいだろう。ポストモダニズムをもってモダニズムの思想を一刀両断に断罪しようとする最近の風潮も現在中心主義の一例である。

 つまり、「問いと答えの連鎖としての思想史には終わりがない」((c)Collingwood)。時代状況を抜きにした、正解も不正解も、善も悪も存在しない。これは思想だけではなく、科学技術にも当てはまる。時代の要請がひとつの技術を生み出す。何十年か経った後、その技術の致命的な罪悪が暴かれる場合もあるだろう。だが、それは、時代の推移によるものなのだ。さしあたって、「問題状況と解決の試みとしての科学技術史には終わりがない」とパラフレーズできよう。

 時代背景も含めて思想ないし科学技術を検討する営みは、すなわち「歴史」を紐解く作業である。歴史とは、「時代が新たに提起する問題を証拠と推論によって解決する、学問的認識方法のひとつである」。その意味では、過去の時代背景も、ありのままに取り出されるのではなく、現在の観点から再解釈されるほかない。だが、それだからこそ、安易に善悪を断じるのではなく、歴史――問いと答えの連鎖としての営為には終わりがないこと――への敬意を忘れないでおきたい。科学はモノでも事実でもなく、何よりも時代に刻印された活動として生み出されているのだ。

Tags 歴史/宗教, 思想/哲学/言語(学) | | 2,402 Views | add to hatena hatena.comment 0 user add to del.icio.us 0 user add to livedoor.clip 0 user |  http://blog.genxx.com/wp-trackback.php?p=113
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