アートはショッキングなものであるべきか
「アートの本質的特徴とは‥そうだね、アートとはショッキングなものでなければならない」と、Oxfordの教授が面接で語ったことに対して、一抹の反感を抱いたという友人Aに対してのレス。きちんと文章化してみます。この前語った内容と一部重複してるかもれないけれども、それはご容赦を。灰色の部分は面倒くさかったら読み飛ばしてくださいまし。




「アートの本質的特徴とは‥そうだね、アートとはショッキングなものでなければならない」と、Oxfordの教授が面接で語ったことに対して、一抹の反感を抱いたという友人Aに対してのレス。きちんと文章化してみます。この前語った内容と一部重複してるかもれないけれども、それはご容赦を。灰色の部分は面倒くさかったら読み飛ばしてくださいまし。
以前Japan Times Weeklyを読んでいるという話を書いたのですが、やはり記事の内容の深さに不満が残るので、Economist誌の定期購読に切り替えますた。学割1年で23000円、むぅ。Economist誌ってめっちゃ評価高いですよね。たとえば山形浩生さんなんかは手放しで絶賛して誠意的に記事を翻訳してたりしますが。以前買って読んだ記憶に基づけば、Time誌とNewsweek誌の記事はどこか文学的格調の高さと道徳への逃避でごまかしが入るのに対し、Economist誌は事象の徹底的追求と論理の構築に妥協がない、そんなイメージを持っています。また面白い記事があれば紹介してみます。
最後に安倍首相の曖昧戦略に関して。結論的に言うと、これは恐らく90年代前半までは通用した手法で、現在は無理だと思う。曖昧と報道されている時点で失敗で、柔軟と報道されなければならない。即ち、核になる理念や政策があって、それを実行するための手法は臨機応変に対応しますよ、というメッセージが国民に伝わってなければならない。現時点では出来ていないと思う。(カワセミの世界情勢ブログ)
なるほど。バランス型の舵取りが、核になる理念や政策を明確に伝えている場合には「柔軟」と評されるが、そうでない場合には「曖昧」と評される、と。
人類は、地球上にほぼ50万年にわたって生存してきた。農耕がはじまったのは約12000年前、文明社会が生まれたのはおよそ6000年前だ。その間に人間は進化したのだろうか。 人間の社会は大きく変化してきたから/情報が過剰に飛び交う社会になったから/文化の内容が大きく変化してきたからetc…「現代の人間はかつての人間とは異なる」と言われる。だが、誤解しちゃいけない。その間に人間が遺伝的あるいは生物学的に進化したと考えるのは全くの誤解だ。人間は遺伝的あるいは生物学的にほとんど変化していない。言い換えれば、現代社会に生きる人間の生物学的基本メカニズムは、サバンナでライオンから逃げ回っていた人間のそれとほとんど同じである。なぜそう言えるのか。それは、ヒト進化の時間的スケール全体から見れば、文明環境下で生じた進化は無視できる程度といえるからだ(Buss,2004)。
「日本は統計的に景気良くなってるはずなんだけど、実感ないのはなぜだろうねぇ」というニュースが紙面を賑わせている。戦後最長の景気拡大、いざなぎ景気を抜いた、と言われてもピンとこないのはなぜだろうと騒がれている。社会学者・宮台真司は彼のpodcastの中でこう述べた。曰く、1.表面的な理由と、2.根深い理由がある。1.表面的な理由とは、経済学的な理由。たとえば現在の「好景気」は企業の設備投資や外需が牽引しているものであって、内需はそれほど伸びていないから。また乗数効果が浸透しきっていないから。わかりやすく言えば、(バブル期のように)日本での消費活動が活発になって景気が伸びているのではなく、アメリカが好景気でモノをたくさん消費してくれるから、あるいは中国人の所得が伸びてきてたくさん消費をしてくれるから、日本企業はばんばん工場を作り(設備投資)、輸出をすることによって稼ぎを増やしている(外需)。しかし、企業の稼ぎが増えたとはいえ、それにつれて労働者のお給料が増えたとはいえず、経済全体が潤っているわけではない(個人消費≒内需が弱い)。だから、「景気が良い」という実感は薄いのだ、ということ。(まぁ、これは宮台の意見と言うよりは、経済アナリストに共通する認識)