2006/1/3, 14:38 by Gen
「原因」というのは科学的な因果関係があるということです。それに対して、「責任」というのは社会的なルールによって決められた「義務」です。つまりその範囲はできるだけ予め決まっているべきものです。ここんとこやたら「責任」に関するトラブルが多いのは、それを予め決めておかない日本のやり方に綻びが出てきたということでしょう。予め誰の責任なのかはっきりさせていないので、まず、そこで紛糾する。そして、どれだけの責任なのかも曖昧なので、その時の雰囲気で無限に「責任」を取らされる。だから余計に自分の責任だと言えなくなる。これぞ正に「無責任スパイラル」ですよ。(生存適者日記)
責任と原因は違う。「故意かどうか」で刑期(=責任)が変わるのが一番わかりやすい例だろう。意図していようがいまいが、ある行為を行った事実や、その行為がある悲劇を生み出した事実(=因果関係)は変わらないのに、責任は変わってくるのだ。
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2006/1/3, 14:37 by Gen
ぼくが死んでしまうとき、ぼくの知り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。僕の命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、ぼくに与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中心はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在に還るだろう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方にぼくを運ぶような傷跡一つ、思い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を現わし、他の考えの数々が流通することだろう。そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との奥にも、なおも物質、消えることのない全的物質の現存があるだろう。

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2006/1/1, 14:39 by Gen
明けましておめでとうこざいます。何かしらの足場を築ける一年になると良いですよね。みなさんも良いお年を。そして卒論が終わりません。鬱な気分を幾ばくかは反映した、年明け自分用メモ。 世界各地で、貧富の二極分化が進行している。日本しかり米国しかり中国しかりロシアしかり。これは、一つにはグローバリゼーションの進行が原因だろう。国際競争を生き残るには、生産コストを抑えねばならない。したがって労働賃金があがらない。低賃金労働者はいつまでたっても低所得のまま。低所得層はグローバルにつながっている。大企業は一次/二次/三次のアウトソーシングを重ねることで低コスト体制を維持していくが(参照)、このことは当然ながら、格差拡大社会を帰結として生み出す。
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日々のよしなしごと | No Comments » | 1,999 Views
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