2005/7/28, 14:49 by Gen
20:21:38
信託会社に就職する友人と数時間飲んでいた。彼がヤツの彼女へのリスペクトを語っていたわけだが、なるほどなと思った。彼女は東工大生つまり理系の人間らしく、ひとつの出来事をきっちり仕上げないと気が済まないタイプなのだとか。「今はこのことに集中している、だからその他のことには手が出せない。いっぱいいっぱい」というのが口癖らしい。彼曰く、そのある種の「要領の悪さ」がとても尊敬できるそうな。
理系=1ミリズレただけで橋が崩壊する=自分が構築したものの責任が直に/圧倒的に問われてくる=一つのことに責任を持って集中する=専門性に閉じこもる。一方、文系=ある対象を包括的に/メタの立場から論じようとする=専門性のみならずある種の「要領の良さ」が求められる=自分が構築したものに対する責任は(理系に比べれば)曖昧になる=理系から見ればうさんくさい。この図式は、ふと思ったのだけれども、ある程度妥当するのでは。

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2005/7/24, 14:53 by Gen
04:24:00
「青春の正体は『無責任』だよ。無責任になれば青春時代は戻ってくるよ」((c)みうらじゅん)
けだし名言。まさにその通り。青春はいつだって帰ってくる。問題は、無責任になる際の嫌悪感に耐えられるかどうか。そしてその「嫌悪感」は、執着心からやってくる。今持っているものを失いたくない、より良いものを持ちたいという、執着心からやってくる。Janis Joplinが愛を込めて歌うまでもなく。
”Freedom’s just another word for nothin’ left to lose.” (自由とは何も持たないことよ)
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2005/7/22, 14:55 by Gen
10:29:18
一時期すごく仲良かったN子は、どこか自分とは似ているけれども対極にいる人間で、時々活躍ぶりをチェックする度にハッとさせられる。自分は何をしているのだろう、と。世間からそれほどズレたくないという想いを抱えたまま、引き返せないくらい浮世離れしてしまった姿を突きつけられる。彼女がミスキャンに選ばれたと聞いたときもさすがだなぁと息を飲んだ。昨今全くテレビを観ていないので気づかなかっけれども、ふと日テレのサイトを見ていたら、恋のから騒ぎでも堂々とレギュラー出演しているらしい。何よりも彼女が書いているBlogを読むと、沁みる。端的に、沁みる。これほど平明でいて力のある文章はそうそう書けない。レトリックなり論理なりの美しさは問題じゃない。ぶつかる、考える、言葉にする。その言葉を幾分か引き受けながら、次へ歩を進める。そしてまたぶつかり、言葉にする。表現はすべてそこから始まっているはずだった。「伝えたいもの」「言葉という形を与えなければならないもの」があるのかどうか。原点はそこだった。
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2005/7/16, 14:56 by Gen
01:46:27
カエルの活作りを食ってきた。皿でずっと動いてた。超美味で、一緒に頼んだマグロが情けなく思えた。動いてるカエルの心臓も食った。焼き鳥のハツを新鮮にした味だった。豚の金玉はありえないくらい濃厚で、フォアグラに匹敵する逸品。豚の子宮はコリコリとした歯触りが、新鮮な気持ちを呼び起こした。牛のおっぱいは微笑ましかった。カメの手は‥少し‥。大満足、オススメ。有名なお店だけれども、新宿思い出横町の「朝起」(あさだち)(参照)。誰かの涙に、ちょっぴりときめいた。

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2005/7/15, 15:03 by Gen
00:00:01
たとえ幻想でも誤解でも狂気でも、人を丸ごと包んだり包まれたり、傷つけたり傷つくようになってから、自分の立場が決定的に弱くなった気がする。昔はもっと自由だった。恋愛もゲームの観点から捉えれば、かつては振られることがあまりなかったけど、最近もっぱら「負け」がこんでいる。でもなぁ、あまり悔しくはないな。なんか不思議と、孤独じゃなくなったんだよな、昔に比べて。他者がそばに居てほしい。誰かと誰かと、バカみたいな些細で幼稚なことに耽っている瞬間を、とても慈しみたくなる。孤高の研究生活なんて、絶対にできやしない。戦う場所があって、帰る場所があって、そのどちらでもない自分に沈む場所があって、それらがお互いに不真面目な綱引きをしていて、頬を緩ませたり、汗をかいたり、吐きそうになったり、眉間に皺を寄せたり。毎日似たような繰り返しで循環している、でも少しだけ意味あいが更新されていって、らせんを描きながら流されるとき、誰かが、居てほしいんだよな。そこに。

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